ヨガクラス再開です

*2017年10月以降、新しいスタジオで新しいクラスがスタートします。
 クラス詳細、代行スケジュールについてはScheduleよりご確認ください。

04_031

秋らしい日差しと風がとっても心地良い季節になりましたね!

ハレヨガハワイでのヨガクラスを6月よりお休みさせていただきましたが、
この9月より代行クラスをまた担当することになりました。
関係各位のご理解ご協力に大変感謝しております。ありがとうございます!

Hale Yoga Hawaii / ハレヨガハワイ(横浜・大倉山)>>

昨日のクラスにはたくさんの方にご参加いただき、お久しぶりのみなさんや、初めましてのみなさんにお会いできて楽しかったです。ありがとうございました。

また今月は何クラスか担当しますので、季節の変わり目の体調管理にぜひヨガを活用いただければと思います。

詳しい代行スケジュールはこちら>>

また10月以降のクラススケジュールも決まり次第お知らせします。

出張ヨガクラスも10月より再開予定です。ご興味ある方はお気軽にご相談いただければと思います。
※原則的にご依頼主に場所を設定いただき、グループでの参加をお願いしています。
※完全プライベートでの出張をご希望の場合はその旨お知らせいただければ開催可能です。
※ご参加人数や条件によって料金は異なります。お問い合わせください。

少しでも呼吸に合わせて身体を動かすことに意識を向けると、
こわばった身体だけでなく心にもはたらきかけることができ、
明日からの毎日をまたすっきり笑顔で過ごしていける
力強く優しいエネルギーが自分の中に生まれます。

みなさんの「またヨガがやりたいな」という気持ちをサポートし、
ヨガが習慣になり続いていくことのお手伝いができたらいいな
という想いでいっぱいです。
 
 
 
 
 

広告

夢を持ち誇りに思うこと

ブーブ先生は、手術直後に待ち合い場所で待ってた家族に「とても綺麗になってます」と伝言し、「先生、すごい誇らしげだったよ」と後日お見舞いに来た父から聞かされた。

うん、わかる。手術直後に病室に戻ったあとブーブ先生が様子を見に来てくれたとき、同じように誇らしげに言い残していったから。

ブーブ先生「どうですか?」
私「あー、胸よりこっちの腕が痛いですう!」
(手術前に間違った方の腕に打たれた点滴跡が痛かった)
ブーブ先生「点滴が沁みちゃったんだね。」
私「あー、、、、」
ブーブ先生「これ以上ないくらいに綺麗にできましたから、楽しみにしてください」
私「あー、ありがとうございます」

先生が去ったあと、
旦那「?? What did he say??」

そばにいた旦那さんが心配そうに「先生、何て言ってたの?」って聞くから

私「It could’t be better. ってー」
(麻酔から醒めたばかりで頭が働かないながらもこれが口から出てきた)
旦那「Ah ok. That’s great.」

先生、大満足の手術だったらしい。そんなブーブ先生が7月から同大学病院系列の別病院に異動してしまったので今は新しい女性の主治医(新ブーブ先生とでも呼ぼうか)に変わっています。ブーブ先生とは同僚らしい。

新ブーブ先生に初対面した際に、傷の経過を見せたときのこと。

新ブーブ先生「あ、綺麗ですねぇ」
私「●●先生に”これ以上ないくらいに綺麗にできました”って言われました」
新ブーブ先生「あははははは、彼なら言いそうです。」
私「あはははは、そうなんですか!」
新ブーブ先生「はい、そういう男です・笑」
私「あははははは」

なるほど、やっぱりそういう男だったか。(なんとなくそう思ってた)で、ずっと考えてた疑問を新ブーブ先生になげかけてみた。

私「いつか●●先生に”なんで乳腺外科なんですか?”って聞いてみたかったんですよ」「でも聞く機会がないまま異動されてしまったので……」

最近、医療現場に関わる人は、医師も、看護師も、その他の職員さんも、なんでその職業を選んだんだろうって不思議に感じることが多くて。人の命を預かるし、間違いが許されないし、すごい大変な職業だから。患者さんも様々で、私も人に接する仕事をしている身としてかなり興味あることだったから。「外科は器用なひとがなる」と、形成外科を兄に持つ母が言ってたけど、じゃ、あえて乳腺外科を選ぶってなんで??とか。

で、ここだけの話しということで新ブーブ先生から聞いたのは、ブーブ先生は美に関してすごいこだわりがあるんだそう。美容形成の世界にその名を轟かせる前に、がんについてしっかり学ぼうということでいまの大学病院での勤務を続けているそうです。(プライバシー保護のため、詳細は伏せています)

そっかー、だから事前の説明で

●部分切除でかたちが崩れること(わたしの場合です)
●部分切除の場合はその後の放射線治療で皮膚が弱くなり、もし今後何かあって再建を望むことになっても、再建に適さなくなってしまうこと
●全摘出のみでインプラント再建なし(この方法にしようかと考えていました)

という他の選択肢を説明してくれた上で、全摘出でのインプラント再建(放射線治療なし)を最初から薦めてくれたんだなー。と、納得。

部分切除でもかたちが崩れず、見た目があまり変わらない場合もあります。がんの場所や広がり方、胸の大きさなどによっても個人差や病院の方針が異なり、どの方法を選ぶかは、最終的には本人の決定によるものになります。だから、決めるのにかなり悩みました。
(その時のことはこちら >>『受け入れること』

[ブーブ先生から提示された手術プラン]
*皮下の乳腺を全摘出するけれど乳頭乳輪は温存する(乳頭乳輪温存皮下乳腺全摘術)
*ただ乳頭の裏側にがんがある場合は、そこから再発する可能性が高まるので乳頭乳輪を温存せず切除する
*その判断は手術中に乳頭の裏をギリギリまで切除しながら、顕微鏡でがんがないか調べながら決定する
*手術中のセンチネルリンパ節生検でリンパへの転移が確認されたらエキスパンダーの挿入は中止になるかもしれない
(詳しくはこちら >>『乳がんinfoなび』外部サイトにジャンプします)

すべて納得の上で、手術に臨みました。

結局、乳頭乳輪は温存でき、リンパ転移もなくエキスパンダーが挿入でき、病理結果によるとがんの取り残しもなく綺麗に切除できたとのこと。今後の再発防止治療は、薬を決められた年数のあいだ飲み続けるだけとなります。(この薬を飲むかどうかも本人の判断次第ということで、主治医と相談しながら検討中)

私「●●先生、父にもすごい誇らしげだったそうです・笑」
新ブーブ先生「あははは、でも彼がそこまで言うんだから、本当に綺麗ですよ」
私「あははは、そうですね。感謝しています」

受付の看護師さん「なんだかすごい楽しそうな笑い声が聞こえてきてたけど・笑」
私「あはははは、●●先生のうわさ話をしてて・笑」

わたしのがんを特定してくれたし、綺麗に取り去ってくれたし、ブーブ先生、ありがとう!これからも夢に向ってがんばってほしいです。

どんな職業を選ぶのも、好きなこと、極めたいこと、得意なこと、動機も人それぞれ。でも共通するのは、みんな誰かの何かの役に立ちたいということ。そして目標や夢があるから、多少遠回りをしても頑張れるんだ、と自分を含めたこととして実感しています。

自分の選択に、目標に、誇りをもっていこう。すべてはつながって、夢見た場所にたどり着くから。

No One Is Alone

手術の時間はだいたい午後2時くらいと聞いていたので、待ち合い室で待機する家族にもその時間を伝えてありました。後ろ倒しになることはあっても、めったに早まることはないと聞いていたのに。

なのに!

手術前の準備として点滴を打ってもらっていたら、別の看護師さんが「手術室に12時40分に来て下さい」と伝えに来ました。

私「え!?早まったんですか!」
看護師さん「はい」
私「いま何時ですか!?」
看護師さん「12時……もうすぐ30分です」
私「えっ!!ここで家族に電話してもいいですか!?!?」
(病室内は基本的に電話での会話NG)
看護師さん「はい、どうぞ!」

で、親に電話して、時間が早まったこと、すぐに家を出ても手術前には到着しないから慌てないで事故のないようにゆっくり来て欲しいこと、手術前に会えないことになってしまったけど私は大丈夫だということを伝え、次に、両親と目と鼻の先にいた旦那さんにも電話して同じことを伝える。(二度手間だけど、両親は英語が話せないから伝えられない)

旦那「うん、ママも目の前でこっちに向ってなんか言ってる。わかった。」
私「大丈夫だからね。じゃあとでね。Love you.」
旦那「がんばってね。あとでね。Love you too.」

バタバタな手術前。

実はそれより前に、手術側とは反対側の腕に点滴をするように指示があったのに、看護師さんが点滴を打つ腕を間違えて、手術側に打ってしまい、正しい方に打ち直してもらっていたこともあり、その点滴の打ち直しの最中に時間が早まったことがわかったので、さらにバタバタ。

こういうもんなんだなー、人生って。

と、バタバタとは裏腹に、まるでひとごとのように、呼吸も心も落ち着いていて、自分のまわりだけ時間がスローモーションに進んでくような感覚がしました。

手術室へは看護師さんの付き添いのもと、歩いて行きます。なんだかその間も、看護師さんと世間話をしていて(看護師さん「英語話せるのいいですねー」私「海外ドラマとかアメリカの料理番組ばっかり観て耳を慣らしましたー」とか)本当にこれから手術を受けるの?と、信じられない不思議な感覚。

手術室の手前で看護師さんと改めて名前を確認し、手術の内容を確認している間、「ああ、家族と会えなかったな」と、ちょっとだけ悲しくなり、涙をこらえる。

シャワーキャップのような薄い帽子を渡され、かぶってからさらに奥の手術室へ。宇宙船の中のようなシルバーなドアがいくつもある廊下を通って促された自分の手術室へ入りました。

まわりを見る余裕もないまま履物を脱いで手術台の上に自分で座って、体の向きを変えて横になり、あとはされるがまま。ブランケットをかけられて、看護師さんに手術着を脱がしてもらって、腕の位置など体勢も整えてもらって。たくさんのひとたちがまわりを囲んでいるような気配は感じました。

全身麻酔をかけて行う手術ですが、前日に受けた麻酔の説明で「呼吸を確保する管を通す時に歯に損傷を与える可能性がある」とあり、実は乳歯がまだ1本だけ残っている私は(これ、めずらしいらしい)その歯がなくなってしまうと、新しい永久歯は生えないので歯抜けになってしまう!と、マウスピースをつけて手術をして良いか事前に相談してありました。(普段は、寝てるときの歯ぎしり防止のために着用しています)

でも、手術時間の変更でバタバタしていたため病室から自分のマウスピースを持ってくるのを忘れたので看護師さんに頼んで持ってきてもらい、無事に麻酔前に間に合いました。

執刀医たち「マウスピースしたいんだって?」
私「はい、まだ乳歯が1本あって、抜けたら困るので守るためにいいですか?」
執刀医たち「え!乳歯!!どれ!どこ!」
私「ここですーここ、ここー」

みんな興味津々。なんだこの和気あいあいさは。

マウスピースをつけたあと、麻酔のマスクをつけられ、点滴も始まり、もうなにもすることもないので目を閉じて深く呼吸をする。
ん?ELTの初期の曲がかかっているな…….
ブーブ先生の声がするな…….
ブーブ先生が他の先生から
「お前こうやって並ぶとやっぱり背高いな。何センチ?」と聞かれて
「185(?)センチです」
「スポーツ何やってたんだっけ」
「バスケです」って答えてるな…….
あー、先生バスケっぽいな…….
でもなんで今頃ELTの、しかもあんな古い曲なんだろう…….

そんなことをぼんやり考えているうちに、家族と会えなかったことも、どんどん手術への時間が進んでいくことも気にする間もないまま、たくさんの人に支えられていることに心が落ち着いているのを感じ、ブーブ先生からの「目が覚めたら終わってますからねー」の声がして、2秒で意識が遠のきました。

バタバタな割には、ちゃんと冷静に物事が進んでいくんだな。病院って、そんな場所のような気がします。

一瞬だけ短い夢を見たような気がして、名前を呼ばれているのに気づき、麻酔から目が覚めました。

その間、3時間もかかってたなんて、信じられない。目を開けたらまだ手術室で、変態先生の姿が見えました。(前半はブーブ先生はじめ乳腺外科の医師たちが担当で、後半は形成外科の変態先生チーム担当だから)

変態先生「終わりましたよ」

声にならない声で”ありがとうございました”と口を動かして、うなづいて感謝を伝えました。

いま元気だから、こうやって明るく思い出話にできる。有り難いこと。そのことに感謝して、関わってくれているたくさんの人たち全員への感謝を毎日感じています。有り難くて涙が出ることもまだあります。

みんな、ひとりじゃない。大丈夫。
すべての出会いと経験がこれまでも、これからも大きな支えです

***********
今回のブログタイトルはドラマ『GLEE』の挿入歌よりヒントを得て。
英文歌詞はこちら>> http://glee.wikia.com/wiki/No_One_Is_Alone

ひとが好き

私「先生こんにちはー!」(いつも元気な挨拶)
変態先生「はい、こんにちは」(いつも淡々と冷静)
私「よいしょっと」(荷物置きにバッグを置く)
変態先生「よいしょっと」

先生、そこは繰り返さなくていいよ。

退院後から2週間ごとに通っていた形成外科(変態先生)が
今週で一段落しました。2週間ごと3回に分けて注射針をエキスパンダーに刺して
生理食塩水を50ccずつ入れていたのですが今週でトータルで250cc(先生が目処をつけていた量)に達したため、このあと数ヶ月はこのまま大胸筋や皮膚が落ち着くまで普通に過ごします。

変態先生「で、持ってきた?」
私「へ?」
変態先生「磁石」
私「!!!あ、忘れた!!!」
変態先生「あ、忘れちゃったの。じゃここにあるの使いましょう・笑」
私「すみませーんっっ」
変態先生「1回も使わないまま終わるね」
私「いやいや、これまで2回はちゃんと持ってきてましたよ。今日だけ忘れたの」
変態先生「あれ?そうだっけ?ふふふ」

おっちょこちょいキャラに思われてる。それか誰かと間違えてる。

注水の時に、針を刺す場所を特定するのに、エキスパンダーについている金属に反応する磁石をあてます。
退院する時に自分の磁石をもらえるのですが(あと金属が体に入っているので空港で金属探知機を通る時に提示できるカードももらいます)通院が慣れてくると持ち物に気を留めなくなってしまって忘れ物発生。でも笑ってくれたから、いっか。

250ccは、エキスパンダーのふくらまし加減としてはとっても小さい(=わたしのもとの乳房がとっても小さい)サイズですが、いまの見た目はパツーンッッ!!と、ツーーーンッッと(2回言った)大きくて、実際の乳房の大きさよりだいぶ大きいです。これは、皮膚にゆとりがある方がインプラント手術の時に出来上がりが良いため、大きめにエキスパンダーをふくらますためだそうです。

変態先生「(注水が終わって)だいぶ大きくなりましたよ」
私「なりましたねー。でも、もとが小さいですけどね」
変態先生「そうだね」

大きな胸だとエキスパンダーに注入する水の量も断然増えるし慣れるのに時間もかかるし、圧迫感がすごいそう。だから小さいことはこの場合、褒め言葉。(であると信じてる。)

手術をしていない側(健側)との高さをそろえるためにいつも使っているユニクロのブラトップの内側に、
健側だけ2枚もパッドを入れて調整しています。ちょっとの間だけ、豊満ボディーを味わっておきます。

変態先生は普段あまり感情を表さず淡々としていますが、笑わせるとにっこり微笑むので、いかに笑わせるかが入院中からの課題。

入院中、歩き回れるようになったので病院1階のカフェでPCを開いていろいろ仕事を片付けていたら(そこしかWiFiがつながらないから)変態先生の回診を1度逃してしまって会えないことがありました。脇腹に挿入されている2本のドレーンのうち1本をその回診で抜いてもらえたかも!?というタイミングだったので「ああ、やってしまった!抜いてもらえなかった!」とがっかりましたが、排液が基準以下の量まで減らないとドレーンは抜いてもらえず、減ったかと思われた排液がその日はまた少し増えていたので、結局は変態先生に会えなくても大丈夫だったことがあとからわかりました。

[ドレーン]
*術後、体内に溜まる排液を外に排出させる管のこと
*1本は大胸筋の下、1本は皮下に挿入されていました
*一般的に大胸筋下の排液の方が皮下より多いようです
*2本のドレーンが完全に抜けたら、抜けた翌日が退院日となります
*それぞれのドレーンにバッグがついていて、そこに液がたまります
*毎朝、看護師さんが量を確認します
*首からかけるポシェットが配布され、それにバッグを入れて歩き回れます

その翌日に変態先生が回診にやって来たときのこと。

変態先生「こんにちは」
私「あ!先生!お久しぶりです!」(他の先生が代わりに回ってきたりもしてたから)
変態先生「お久しぶりじゃないよー。昨日来たのにいなかったじゃない・笑」
私「えええーー!!だっていつ来るかわからなかったから!!」
(回診は先生の外来診察や手術の合間に行われるので不定期で不意打ちなのです)
変態先生「ドレーン抜こうかと思ってたのに」
私「あー、残念。でもまたちょっと増えてたから」
変態先生「そうみたいだね。」
私「だから会えなくても大丈夫でした」
変態先生「ま、そうね」
私「そうなるようになってたんですよ」
変態先生「うん」(素直だ)

きみたち友達か。

その翌日、形成外科の別の先生に皮下の1本のドレーンを抜いてもらい、さらに翌日、乳腺外科のブーブ先生の回診の時に残りの大胸筋の1本が抜けました。

ブーブ先生「(6人部屋のカーテンの隙間から)サカイさーん」
私「あ!先生こんにちは!」(いつも元気に挨拶)
ブーブ先生「ドレーン抜きましょうか」(=「明日退院ですよ」)
私「えーー!!!!やったーーー!!!」(6人部屋に響く)

その日はなんとなく2本目のドレーンを抜いてもらえる予感がしていたので部屋で先生の回診を待ち構えていて大正解!ドレーン抜くのはちょっと痛いので好きじゃないけど退院日決定の喜びが勝り、感動の叫び。

病院でもいつも元気なわたし。だって本質は変わらないから。

どんな大変なことも、大変な時期も、誰かがそばにいて支えてくれ、笑いが起き、前に道がつながり、乗り越えられる。仲良しになって、笑い合える。楽しい会話の思い出が、辛かった記憶を塗り替えてくれる。ひとりじゃない。それが強さを、希望を与えてくれる。

ひとが好き。

あの2ヵ月前の入院期間を思い出しながら、そう改めて感じる今日この頃。
 
 
 
 
 

慣れること

毎日のヨガプラクティスが楽しくて仕方ありません。
完全復活まではいきませんが、思うように身体を動かせなかった術後と比べて
できることが1日1日増えていくのを実感するのは、
この上なく楽しい時間です。

「いろいろ違和感はないの?」
最近会った友達に聞かれました。
(あ、こういう風にストレートに聞いてくれるの、とっても嬉しいです!どんどん聞いてください)

もちろんまだ違和感はいろいろなところで顔を出します。
でも、身体は慣れます。
それは、心が慣れるから。正しくは、慣れるしかないから。
こうなるしか仕方がなかったことに対して、抵抗の心を手放せば、
心が慣れ、心が慣れれば身体も慣れます。
(この場合、「もし●●じゃなければこうならなかったのに」という考え方はしません。「もしも」は物事をややこしくします。自分の選択を信じてシンプルに流れていきます)

そして時間がそれを手助けしてくれます。
できることが増えていくこと。
気にならない時間が増えていくこと。
なんだか赤ちゃんがどんどんできることが増えて楽しくて仕方ないような
そんな純粋な気持ちを感じられることが嬉しいです。

最も身体の可動域に影響があったのが、
大胸筋下にエキスパンダーを入れたため、大胸筋が影響する動作
●脇の下のセンチネルリンパ節生検による脇腹や脇下のひきつれ

今回は「センチネルリンパ節生検」について。

脇の下のリンパ節(腋窩リンパ節)に転移があるかを調べるために、
リンパ節の手前にある(門番である)センチネルリンパ節に
まず転移がないかを調べるのがセンチネルリンパ節生検。

センチネルリンパ節に転移が確認されなければ、
腋窩のリンパを摘出する必要はないという理論です。
「センチネル」は「門番」という意味があり、
転移の門番だと考えるとイメージしやすいですね。
ただ、センチネルリンパ節生検をして腋窩リンパに
転移があると認められた場合はリンパ節の切除が必要です。
腋窩リンパ節を通って全身にがんが転移していくからです。

乳腺の主治医(ニックネーム:ブーブ(英語でおっぱい)先生)によると
事前に行っていたMRI検査で特に腋窩リンパの転移は見られなかったようなのですが、
それで「100%転移なし」と言い切れるわけではないため
手術中にセンチネルリンパ節を摘出してその場で調べて転移がなければ
腋窩リンパ節の摘出はしません、とのこと。

腋窩リンパ節を切除すると、リンパ浮腫(手術した側の腕や手のむくみ)が出たり
脇の下のしびれや感覚障害、肩の可動域が制限されるなど後遺症が出ることが多く、
不必要なリンパ節切除をなくすためにセンチネルリンパ節生検が役に立ちます。
(センチネルリンパ節生検でセンチネルリンパ節を切除しても
一般的には大きな後遺症はないです。
ただこれも「100%後遺症なし」とは言い切れず、個人差もあります)

手術前日(入院の日)の朝、センチネルリンパ生検の準備のために検査室へ。
特殊な色素を乳房に注射してセンチネルリンパ節の場所が特定できるようにし、
時間をおいて撮影をします。(レントゲンのような撮影)
その日はそれでおしまいで、翌日の手術まではリラックスして過ごします。
(病院によっては手術時に麻酔後この注射を行うこともあるみたいです)
そして手術中に全身麻酔がかかった状態でセンチネルリンパ節を取り出して
(わたしの場合、脇の下を3cmほど切開しました)
顕微鏡でその場で検査し、転移がなければ腋窩リンパ節は切除しません。

その注射がとっても痛いと調べてあったので、少し緊張……
でも、事前の針生検(ボールペンの芯くらいの針を乳房に刺して行う細胞検査)や
MRI検査(狭い筒状の空間でうつぶせで30分〜40分くらい動かず轟音にさらされる)
も耐えてきていたので、きっと大丈夫!と自分を信じて意外と冷静でした。

初めて体験することはどんなことでも緊張するし、恐怖を感じます
でも、いかに楽しめるか。今回はそんなことを意識しながらの毎日でした。
楽しむというと不謹慎に聞こえるかもしれませんが、
旦那さんと一緒に、よく話しながら、笑いながら、考えながら、時には泣きながら
ひとつの人生体験として前向きに臨むことができたから、
いろいろな違和感にも強く対応できてきたのだと思います。

さて、注射をしてくれる先生は手術着に身をくるんでいて目しか見えず、
最初誰だかよくわからなかったのですが、
「チクッとしますよ。中に液が入っていく時が少し痛いかもしれません」という声で
主治医のブーブ先生だということがわかった瞬間、
ググッと液が入っていき「いったーい!!!!!!!あはははは」
と笑いながら叫んでいました。
でもすぐ痛みに慣れて「あ、でも大丈夫かも」と発していました。
これも感じ方に個人差がありますので、あくまでもわたしの場合です。

ブーブ先生による針生検の時も、細胞を引っ張り出すときの
「バチーン」という音がすごくて、「わぁあああ!あははははは」と
笑ってしまって、笑っているうちに終わったので
主治医のことをいかに信頼できるかも、
心の状態を保つひとつの要因かもしれません。

まずは自分を信じ、自分の選択を信じ、関わっている人を信じること。

結局、センチネルリンパ節への転移はなく、腋窩リンパ節切除はありませんでした。
それでもセンチネルリンパ生検のために切開した脇の下の傷はまだはっきりわかるし
手術後はひきつれる感じがして、脇腹も感覚がおかしく、
脇を閉めて腕を脇腹につけようとすると、ゴルフボールくらいの何かを
脇の下で挟んでいるような違和感がしばらく続きました。
腕を動かすリハビリ(自分で行ったヨガ的な動き)を始めてから
脇の下が真っ赤に腫れて熱を持って慌てたこともありましたが、
無理しないよう,冷やすようにしたらスーッと赤みも熱も痛みもひいていきました。

今はほとんど違和感を感じない、というか、
違和感がNew Normalになってきたので、これがいまの自然な状態と思えます。
そして身体が治ろうとがんばってくれるのを実感します。
数週間前は背中の後ろで手を組むこともできず、
1週間前は手を組み合わせることができても手首を近づけることができなかったのに
今はしっかり組めて、手首どうしも引き寄せることができています。
毎日の練習に、身体はちゃんと応えてくれますね。

まだリンパ浮腫にならない保証もなく、数年後に発症する場合もあるため
手術側の腕では重いものを持たないように日常生活を注意しています。
肩の可動域がまだ完全に元通りでなかったり、
(まだ大胸筋がつながっている脇下のつっぱりがあるため)
腕に体重をかけるようなヨガポーズを避けていたりする以外は、
ほとんど日常生活に支障はありません。

なんだか怒濤の5月、6月の日々がもう昔のことのように感じます。
 
 
 
 
 

受け入れること

5月のある日のこと。
いつもだったら迷いなくスパッスパっといろいろ決めてきたはずなのに、
今回はなかなかあることを「するか」「しないか」を決めかねていて、
かといって、いついつまでに決めないといけない、という期限も迫っていて…….
という時の、主治医(男性)との会話。

先生「で、まだ決められないって?」
私「はい…….あ、これ触らせてもらってもいいですか?」
先生「どうぞ」
私「あー、思ったよりやわらかい。軽いし。(モミモミしながら)」
先生「そうね」
私「どう?こんな感じ。(旦那に触らせる)」
旦那「イイネ」
私「ね、悪くないね、思ったより。で、こんな感じ。(旦那の胸にそれを押しつけながらまたモミモミ)」
旦那「ア、イイネ」
私「変態だね」
旦那「ソウダネ」
先生「(笑)ああそういえば、僕の先輩である医師から聞いた話ですけど。もう恋愛とか女性とのお付き合いとか今後はないだろうとあきらめた男性が、自分の両胸にシリコンを入れることを希望したそうです。」
私「えー!それで、どうしたんですか。」
先生「僕は見てないですけど、先輩に聞いたら”手術したよ”だそうです(笑)」
私「自分で楽しむためにですか…..。(話を聞きながら自分の右胸を片手でモミモミ、もう片方の手でシリコンをモミモミ)」
先生「そうですね」
私「変態ですね!(まだモミモミ)」
先生「変態ですねえ(笑)」
私「いろんな人がいますよね」
先生「そうですね(笑)」
私「(旦那に)今のわかった?」
旦那「ヨクワカンナカッタ」
私「(英語で:恋愛をあきらめた男性が自分用に入れたんだって!)変態だねー!」
旦那「ワー!ヘンタイ!」(←変態の意味は知っている)
私「あなたも入れてみる?」
旦那「イイネ」
先生「(笑)」

そんなくだらない話だったのですが。
でもこれが重要で。
場がなごみ、最初は頼りなさそうな印象だった先生が(すみません)
ユーモアのある、笑顔を見せてくれる人間味のある先生だということもわかり、
(さらに手術後は、信頼できる手先の器用なすごい先生だということがわかった!)
こんなことを話せて笑い合える先生なら
その迷ってた「あること」を「やる」と決断して、先生に託してみようかな、
というふうに心が動きました。

その診察後。
私「先生、おもしろかったね。」
旦那「ウン、オモシロカッタ。ヘンタイセンセイ。」
私「あははは、でも変態なのは先生の先輩の患者さんだからね。」
旦那「ウン、デモ、ヘンタイセンセイ。」
私「まあね。乳首たくさん持ってたからね。」
旦那「ダヨネ!」

先生がデスクの引き出しを開けた時に、
人口乳首のサンプルがたくさん入っていたのを
わたしも旦那も見つけていたから(先生の商売道具だからしょうがないのだ)
それ以降、わたしたちの間ではその先生を
変態先生とニックネームで呼ぶようになりました。
違う違う、変態なのは、先生の先輩の患者さん!

何かを決めることは、時には悩んでも悩んでも考え過ぎてもだめで、
ふとした何気ないきっかけで、心が動くこともあるんだ。

そんな経緯があり、乳房同時再建という乳房のふくらみを
シリコンで取り戻す方法を試してみることに決めました。

同時再建とは、がん摘出手術中に、同時にティッシュ・エキスパンダーという装置を
皮下ではなく大胸筋の下に入れるもの。(皮膚は薄くて弱いため)
摘出は乳腺外科の主治医が行い(ニックネームは英語で”おっぱい”のブーブ先生)
途中で形成外科の主治医(変態先生)にバトンタッチして、
エキスパンダーが挿入されます。(結果、トータルの手術時間が3時間となりました)
その後、定期的に生理食塩水をエキスパンダーに注水して皮膚と大胸筋を伸ばし、
数ヶ月後にエキスパンダーをシリコンに入れ替えるインプラント手術を行います。
最初の手術時に切った場所と同じところを切開するので、傷はひとつで済みます。
(詳しくはこちら >>『乳がんinfoなび』外部サイトにジャンプします)

当初、がんということを受け入れ、片胸がなくなるということも受け入れた、
すなわちヨガ的に「手放すこと」を「受け入れた」のに、
同時再建という選択肢を主治医から提示され、
すなわち「つくる」という新たな選択肢を与えられ、
「異物を体に入れるイコール自然ではない状態になる」という違和感があり、
「するか」「しないか」を悩みました。

でも様々なメリットとデメリットも考慮しながら、家族の意見も聞きながら、
「つくりたくても、体調や状況によってはつくれない人もいる。
そんな中で、この再建というオプションを提示してもらえたということは、
このチャンスを”受け入れること”もヨガなのかもしれない」
と考えるようになり、そして、形成の変態先生との前段の会話。
この会話を持てたことで、はっきりと「やってみよう。先生に委ねてみよう。」
と決めることができました。

いま、わたしの胸にはエキスパンダーが入っていますが、
思っていたより違和感を感じず、いまのところ経過は順調です。
異物としてではなく、わたしの新しい一部(New normal)として受け入れる
ことができたから、なじんでくれています。
知らない人が見たら、まったく気付かないかもしれません。

受け入れること。ヨガの実践がどんなことでも活きています。
 
 
 
 
 

動くこと

いろいろなウェブサイトで体験談を見ていたので、手術翌日からは歩けるし食事もできるということは知識として頭に入っていました。

そうなんだー、すごいなー。わたしもできるのかなー。と、想像もつかない出来事。

手術後の自分がまったく想像つかなかったので、体が動くうちに行ける所は行っておきたいね!と旦那さんとディズニーランドへ行ったり温泉へ行ったりしながら、淡々と迎えた入院の日(手術前日)。

病院によっても、手術のスケジュールによっても、きっと本人の状態によっても、いろんなことが経験者の体験談やインターネットの情報とは違うんだろうなという気づきがたくさんありました。

[前知識]
●手術当日は経口補水ドリンクのみ。
●手術前に下剤を服用。
●手術直後は回復室で1晩過ごし、決められた時間に水が飲めるが食事無し。安静にしておく。翌日に病室に戻って起きて立てるか試みる。

[実際のわたしの体験]
●昼からの手術予定で水は当日の朝6時までOK。でも経口補水ドリンクの指示はなし。
●手術前の下剤なし。
●手術直後に病室に戻り、3時間後に水を飲んでもよし。気分が悪くなければ食事もよし。
●その時、起き上がれそうなら立ってトイレまで自力で行ければ尿道に通した管を抜いてしまう。

というような違いが。

さて手術直後。胸に胸帯を巻いて圧迫していたので深い呼吸はしにくいし、痛みもあるし(どこがどう痛いというのがその時点ではわからないくらい、自分がどんな状態なのかさえよくわからない)旦那さんに笑わせられて笑うのもくしゃみも咳も胸に響いて痛くて、だんだんなんとなく「こうしたらこのくらいここが痛いんだ」というのがわかってきました。

特に痛かったのが、手術直前に間違った腕に打たれた点滴の跡!(詳しくはまた後日。)術後の様子を見に来てくれた主治医に「どうですか」と聞かれた時に朦朧としながらも「先生!胸よりこっちの腕が痛いです!」と必死に訴えてたのだけは覚えてる。(あっさり「ああ、点滴が沁みちゃったんだね」で会話を打ち切られた・笑)

腹筋に力をかけないでする中途半端な笑い方がMTVのビーバス&バットヘッドに似ていて(知らないあなたはYouTubeでチェックだ!)まだ酸素マスクをしている状態だというのに旦那さんに「ほら、ビーバス。ハハ、ハハハ、ハハハハ。クール。」と真似したら大笑いして写真撮ってた。どんな夫婦だ。わたしが術後にビーバスの物まねをしていたことを旦那さんがお義母さんに伝えたら「さすが嫁だ」と笑っていたらしい。

手術後3時間くらいたって看護師さんが「そろそろ水を飲んでみましょうか。」とベッドの角度を上げたとたん、すごい汗が出て体が熱っぽくなり、吐き気がしたので、角度をもとに戻してもらいました。

全身麻酔が覚めたら吐き気がするかもしれないということは聞いており、その症状がまんまと出た感じ。時間をおいて2回試してもらったけど、やっぱり気分が悪くなって起き上がれず、その夜は立ち上がるのは断念しました。夕食もデザートのみかんを1つ口にしただけで終わり。

まさか手術直後に起こされて立てるか試すとは思ってなかったので、調べてあった情報との違いにまず驚き。でも、立って動いた方が循環が戻り、回復がいいのです。このことはどの先生も、看護師さんも言っていました。ヨガトレーニングでも習ったことだったので、さらに納得。

消灯時間になって寝ようとしても、なんだか浅い眠りがずっと続いているような、寝ていないような、よくわからない状態で手術翌日の朝を迎えました。

朝からまだ熱っぽかったので氷枕を交換してもらって頭を冷やし、寝返りも打てないからむずむずとお尻だけ左右に動かしたりしてなんとか腰への負担を減らそうと努力。ただ自分で電動ベッドを少しずつ起こそうとしても、貧血っぽくなってストップし様子を見る、という繰り返し。

そんなこんなで「わたしはちゃんと起きて立てるのだろうか」と放心状態なまま、回診に来た主治医にも「あらお昼ご飯食べられてないですね」と驚かれ「なんだか疲れちゃって。」と意味不明な応答をする始末。約3時間かかった手術翌日なんだからしかたないと言えばしかたない。「痛み止めをまだ飲んでないので痛くて動けないし。」とようやく”いま自分に何が必要なのか”ということに考えが及んで薬をリクエストしたら、「あれ、まだもらってない?じゃすぐに出してもらいます」と。ぬぬぬー、先生お願いしますー。

エコノミー症候群にならないように設置された足のマッサージ機が午後にははずされ、看護師さんに起こしてもらってというか強制的に起こされて(痛み止めを飲んでいなかたったのでいろんなところの激痛にイテイテ言いながらでしたが)フラフラながら立つことができ(どうやって立つのか、歩くのかすら思い出せないほどに体が動かなかったけど)トイレまでたどりつけたので、晴れて尿道につないであった管をはずしてもらうことができました。

その後、痛み止め(子どもでも飲める軽いもの)が処方されて飲んだらスーッと痛みが楽になってさらに動きやすくなり、呼吸もスムーズになり、ベッドの上で下半身を動かしたり、売店まで散歩に行ったり。動いたから食欲も出てきて食事もその夕飯からほとんど完食できるようになりました。

手術翌日には立って動けるようになるって、本当だった!わたしにもできた!

しばらく片腕しか使えない状態でしたが、着替えも食事も、なんでも慣れるものですね。順応性や工夫ということにまっさらな気持ちで向き合えたような気がします。

ということで、もともと歩くのは大好きなので、退院後も歩くことは今まで以上にしっかりと、旦那さんと多摩川沿いを長い距離お散歩しながら「こんなにまた歩ける日がすぐに来るなんて、人間の回復力ってすごいなー」と、ひとごとのようですが感慨深い毎日です。

こんなことなら、あんなに術後の状態におびえることなく、温泉もディズニーシー(今度は旦那がインディージョーンズに乗りたいと)もすぐにまた行けるよ!ってな感じです。まあそれもあとからわかったことだし、なんでも体験してみないとわからないから、その時その時に「こうしよう」と感じたことには素直に流れに身をまかせていくのはこれまでもこれからも変わらないかな。

もちろん回復スピードも感じかたも人それぞれ。ヨガと同じで誰かと比べることなく、いい悪いもないということですね。

大事なのは、動くこと。恐れずに無理のない範囲で体を動かすこと。すると心も動いて元気になれます。ヨガに限らずどんなことでもいいと思います。自分の好きな方法で、動くこと。そしてしっかり休むこと。笑うこと。食べること、それがすべての万能薬。

そして、どんな情報も参考程度にしておくこと。ジャッジしないこと。自分が体験して感じたことが一番の知識と智慧になります。不安になりすぎず、どんなことが起こっても大丈夫という気持ちの強さを保つことが大事。

「気持ちの強さ」のためにヨガと慣れ親しんでおくと、心と体の両面からとても役に立つとさらに実感しました。