One at a time

ずっと前から変わらず元気だし、笑っていることの方が多いけれど、時には泣いちゃうことだってある。

いろいろなことに感情が混乱して、心が疲れて、涙がこぼれて言葉につまると旦那さんがいつもおまじないのように唱えてくれる言葉。

One at a time.
ひとつずつ。

「どうしたの?」
「わからない」
「わからないの?」
「わからないけど悲しい」

涙にむせて話すことを止めようとするわたしに
根気強くつきあってくれて、聞き出してくれる。

わからないのではない。どこから話したらいいのか、わからないだけ。
心の痛みにはそれを引き起こす原因がある。
もつれた感情をほどくように、少しずつ起こった出来事を話す。

話していると、何が自分をそんな気持ちにさせるのか
混乱している感情が整理されていきます。

身体の痛みや不具合に慣れてきたとはいえ、
心はまだ慣れていないんだと感じることがまだまだあり、
身体と同じに、心もがんばってくれていることに気付きます。

もう傷つきたくないのに。
これまでいろいろな場所で、出来事で、さんざん傷ついてきて、
もうこれ以上傷つきたくないと涙が涸れるほど泣いたこともあったのに。
それでもまだ、これでもかと心が傷つく場面に出会う。

そんな今までのことを思い返して、さらに涙が止まらなくなることも。

でもこれまでの苦しいことも、この心と身体に生まれてきて
自分の人生を歩んできたからこそ、自分にしか経験できないこととして実感し、
成長し、また強く柔軟になっていける機会なのだともわかっている。

いいことばかりは続かないし、悪いことばかりも続かない。
いいも、悪いも、ない。
ただ、そこにある自分を生きるだけ。

One at a time.

いろんなことが巻き起こって、混乱しているように見えても、
いま向き合う必要のないものをひとつずつ手放していき、
ゆっくり丁寧に紐解くと、いま向き合うべきことと、
前に進んでいける道がはっきりする。

ひとりにひとつずつ与えられたこの心と身体。
ひとりひとり違う環境、時間、状態で経験した積み重ねが、
自分だけの、ひとつだけの大切な人生として続いていく。

闇のほうばかりに引きずられ、光が一瞬見えないことがあっても、
ちゃんと光はそこにある。雲の上にはいつでも太陽があるように。

One at a time.
昨日も、何度も彼にそう言われ、落ち着きを取り戻しました。

そして、ヨガがある。
心も身体も混乱した時は、ヨガが助けになります。

ヨガで身体を動かし、瞑想で心の動きを静めて、
今朝は「One at a time.」をマントラのように唱えました。
そうやっていまの自分をみつめると
自然と呼吸がおだやかに、心がおだやかになります。

話をして誰かと共有することもヨガだと思っています。

わたしが乳がんだということを旦那さんに伝えた5月初めのある夜、
出会って初めて彼の涙をみました。
いつも強くて明るい彼の涙を初めてみて、
悲しい思いをさせてしまっていることに胸が苦しくなり、
初めて一緒に泣きました。

手術翌日に不意打ちでお見舞いに来た父が、
まだ立ち上がれずにベッドの上で管につながれ
微熱でボーっとしている自分の娘を見て、病室に着いた早々2分くらいで
「じゃあね」と帰っていってしまったことがありました。
今のは何だったんだろう……と思っていると、また戻ってきて
「何かいるものある?」と。コンビニで水を買ってきてもらいました。
水を渡し届けたあと、やっぱりすぐにそそくさと帰った父。
それだけ?せっかくなんだからゆっくりしていけばいいのに……
数日後にまた父が訪れてくれた時、こう打ち明けてくれました。
「自分の娘がこうなるとなー、なんだか涙が出そうになっちゃったよ」。
ああ、そうか。泣きそうになってどうしたらいいかわからなくなって
慌てて帰っちゃったんだな。
で途中で「あ!しまった。何か差し入れすればよかった」
と気付いて戻ってきたんだな。
普段はそんな会話をすることすらなかった父に、
そうやって悲しい思いをさせてしまっていることに、また胸が苦しくなります。
そして見守ってくれていることに感謝の気持ちがあふれます。

「みんな表に見せないだけで、誰もがいろんなことを抱えているんだよ」
そう言う旦那さん。
ヨガはしないけど、ヨガだなーと思う言葉をたくさん持っています。
たとえ何かに自分を完全に否定されたような気持ちがしても、
それだけがわたしの本質ではない。ほかの何かと比べてはいけない。
そう改めて感じることができます。

一緒に生きていく大切な家族がある。そのことだけで、幸せ。
ちっぽけでも、ぽんこつでも、そう感じられれば、それだけでいいね。